おたくのひとりごと

推しが幸せなのが1番

01.14 推し疲れの話

 

お久しぶりです。本当は先に2019年後期の振り返りを書いてしまおうと思っていたのですが、しんどすぎるので自分の気持ちを整理するという意味でも今日はこの話題にしようと思います。

いつも纏まってませんが、今回はいつも以上にとっちらかってます。暖かい目で見守ってくださると嬉しいです。

 

『推し疲れの話』

 

 

最近よくSNS上で"推し疲れ"というワードを耳にするようになりました。意味的には「推しを応援する自分に疲れを感じ始めている」といったもので、多くの人が持っている悩みの種のひとつではないでしょうか?

これには様々な理由が挙げられると思います。『推しの態度に少しモヤる』とか『ファン同士の関わりがめんどくさい』とか『長く推してるから追いかけてるけど飽きてきた』とか。理由なんて人の数だけあると思います。

これを一般人に話せばじゃあ降りれば良くない?って返ってきます。いやいやいや「じゃあ降りマース!!!」って簡単に降りれてたらこんなに悩んでないからな!?

推しの態度にもやもやすることがあっても好きになった時の推しに戻ってくれるかもしれないという淡い期待を抱くこともある。ファン同士のいざこざなんて無視してしまえばいい。飽きてしまったなんて勘違いかもしれないし、もし本当に飽きてしまっても今まで推してきた愛や時間やお金を無駄にしたくない。

けどそうはいかない。もどかしい気持ちでいっぱいなんです。

 

こうしてつらつら文を書き綴っている私もその"推し疲れ"をしているオタクの中の1人です。

去年のライブツアーで推しへの愛を完全燃焼してしまい、モチベがないままぼんやりと生きていました。

オタク同士で揉めてしまって気まずいし、イベントつまんないの多いし(あ、でも10月にあった朗読劇は面白かったです…)、歴こそ長いけど思ったようにオタ活出来ないし。

ある日友人に言われたんです。「気負わなくていいんじゃない?しんどそうだよ」って。精神的に病みそうな勢いでするオタ活って最高にスリリングだよねと思っていた時期に言われたのでびっくりしました。そうか、自分疲れていたのかと自覚しました。最近疲れたなとやっと認めることが出来て一旦推しから離れていました。

 

いつも言ってるけど自分なんていなくたって推しは生きていける。だって別に推しは私の落とした少ない金だけで生きてるわけじゃないし、私のブサイクな笑顔を見て頑張ろうって思ってるわけでもないし。

でも私には推しがいないと学校や仕事にすら行けないわけで。「辛い」と口に出して嘆いた。何度も「死にたい」と心の中で願った。でも何度もう全部終わりにしようと思っても引き止めるのはあの日見た推しの優しい笑顔なんです。

 

私の推しへの愛は偽物だったのでしょうか?

確かに自己満足で押し付けがましいものだったのかも知れません。でも3年前に推しに向けていたのは純粋な愛そのものでした。まだ高校生だったので現場数もそんなに行けないし、高価なプレゼントをしていたわけでもなかった。そんな中推し続けていたのは好きだったからという理由以外ありませんでした。あ〜あの頃に戻りてぇ〜〜(◜௰◝)

 

 

私は転々とした結果現在大手歌い手(?)グループを推しています。毎日誰かが放送してくれるから心の治安が良い。現場も半年に1回くらいの頻度で心地よいペース。ファン同士の関わりも年齢層が違いすぎるのでめんどくさいと思う時もあるけど、1つのものが発売して皆でこれいいね!って言い合える今の環境が大好きです。推し達もそれを見て、これからも頑張るからついてきてねと言ってくれる今が最高に楽しいです。何より新鮮味があってそのドキドキが毎日に彩りを添えてくれる。

 

まぁここまでつらつら言ってたけど、何が言いたかったって飽きましたね今の環境に!!!はい!!いや!!もう無理だ!!!推しの顔面見てもドキドキしねぇ!!かっこいいけど老けたな〜しか思えねぇ!!はぁーーーーー虚無虚無プリンですわ!!!!

 

結局オタクは流れゆくもの。周りにどれだけ薄情だと言われてしまったとしても、何度か気持ちが変わってしまったら完全に修復することなんて無理だと私は思うんです。だから今こうして推しを好きでいる間に全力を尽くすことが私なりの愛のカタチです。疲れたら休もう、そう決めました。また会えたら会おうね、それくらいの軽い気持ちでいいんじゃないでしょうか?誰も1度離れたからってもう戻ってきたらダメだなんて言ってないし。これからも自分のペースでゆるゆるオタ活していきます。

 

 

今書き綴って来たことは全て私の偏見です。こんな考えの人もいるんだなくらいの気持ちで捉えてください。

 

全ての一生懸命推しのために働いて想って生きているオタクに幸あれ。