おたくのひとりごと

推しが幸せなのが1番

5.27 私の気持ちと学級会の話

こんばんは、ゴミクズはゴミクズらしく生活してまーーす!!

 

5月もあと数日。6月からは推しのライブツアーが始まる。揉め事はスッキリしたし、チケットも用意したし、交通手段も手配したしもう完璧!!

 

以前のブログ(公開時間わずか5時間笑)でも述べていたが私はこのライブツアーで推しを降りることにした。多分今後の私のスケジュールを見るに今日がライブ前最後の更新可能日だったのでドーーーンと更新してやります。相変わらず誰も見てないですけどネ。炎上するよりそっちの方がまし。

 

 

初めに、今日1日他の担降りした人々(廃油、精油など)のはてブロをぼんやり眺めていたんですけどほんっとにわかりみが深すぎる…!!

 

推しに対して思うことは溢れんばかりにある。「あんまり無理しないで、心配。」「笑って逃げようとしないで。怒っていいんだよ。」「ちゃんとファンいるから自虐しないで!応援してるから!見てるから!」などと怒り狂っている時があるのですが、冷静になった今、内容を見るとどこから目線だよみたいな怒り方で笑える。

 

上記みたいなものではなく、普通に怒っている時もあるが、大抵推しの幸せそうな顔を見ると「でも本人は幸せそうだしな…」とどうでも良くなる。結局のところ推しが幸せならそれでいい。

 

 

 

メンヘラのような文章になってしまうが許して欲しい。これは今日ずっと頭を駆け巡っていた言葉だ。

 

『ただのファンの1人だし、きっといなくなっても気づかないでしょう?でも私にとってあなたは何よりも大切な人で、いつも幸せを与えてくれるかけがえのない存在なんだよ。ファンを”僕のファンはいい子ばっかり”と褒めてくれたね。私もその”いい子”の1人になれたかな?私にとっての全てだよ。大好きなのに最期に裏切ってごめんなさい。』

 

こんな懺悔の言葉が永遠にリピートされるのだからたまったもんじゃない。

 

 

私と推しにはあと50日しかない。大好きな笑顔も声も人柄も、5年分の幸せな思い出も、全部ここに置いていく。

 

これは『推しが大好きな幸せな私』から『性格の悪いゴミクズな私』への呪い。

 

 

 

 

 

私はゴミクズな自分が許せていないのだが、もっと許せないものがある。それが『単推しじゃない同担』である。

 

 

私は同担が好きだ。推しに似て優しく、割と穏やかな人達が多い。推しには私より年上のファンの方が多いが、同担は若い私にも同等にフレンドリーに接してくれる。

 

こんな同担サイコー!勢である私が目の敵にしているのが『単推しじゃない同担』だ。奴らに思う事はいっっっぱいある。

 

まず、オタク恒例の『学級会』

上記で述べたように推しの同担は基本穏やかで、揉め事を起こしたがらない。つまり学級会を起こしてるのは同担ではなく、『他担だけどうちの推しも推してる複数推し』の奴らだ。奴らは母数が多い上に、年齢層が低いのだ。

 

つい先日も奴らが他担にわざわざ喧嘩をふっかけるような発言をしたのだ。こちらからすれば奴らの存在もアカウントもある程度知っているので「またあの複数推しのやつが暴れてる」としか思わないのだが、そんな事を知らない他担から見れば奴らは「自分たちに喧嘩をふっかけてきた○○(推し)担」だとしか思わないのだ。そして立派に委員長面しているのを見てて失笑しか生まない。

 

推しの魅力に気づき推してくれるのは嬉しいことなのだが、私は他担と揉めることなく推し事がしたい。民度が低いと思われたくないし、それが推しの耳に入るのは阻止したいので本当に辞めてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで読んでくれた人なら私が推しのことをどれほど大切に思っているかをきっと理解してくれるだろう。

 

今までも何度か推し事なんてやめてやる!!と喚き散らすことがあったが、結局やめられたことなんて1度もない。

 

けど今回は何故かやめられるような気がする。嫌だと思いながらきっと心のどこかで諦めがついているのだ。

 

『好きより疲れたが勝るならもうそれは純粋な好きでは無い』

 

気づいてしまったのかもしれない。