おたくのひとりごと

推しが幸せなのが1番

6.30 変わらない話

 

こんばんは。

現在広島にいる。御察しいただけると思うが、私は昨日行われたライブに参加したためこんな未知の土地にいる。観光し終わって、ファミレスで夜行バスが来るのをのんびり待っている最中である。

広島といえばいろんな観光名所・名物があって素敵なところ。地元もこれくらい見習って欲しいものだ。

 

 

さて、本命だったライブなのだが、最初に感じたのが「あれ、推しってこんなにかっこよかったっけ…?」という感想だった。

私は宮城公演を経て晴れて自分の気持ちに気づくことが出来て推しを好きでいることに決めたのだが、こんなにも意識が変わるものだとは思っていなかったのだ。以前はかっこいいより可愛いという気持ちが強く、愛で続けていたのだが今回の公演で感じたのはそれとは違った感情だった。

 

私はやっと本来のオタクのあるべき姿になれたのではないかと思う。まぁ同担は常日頃から燃やしたくなるが、愛ゆえなので目をつぶっていただきたい。

 

 

そんな推しはと言うと今回の公演中ずっとご機嫌で(推しは長期間見続けていると気分屋なんだなとわかる程度の気分屋)、ほわほわしていた。これがゲストに推しの相方が来たからか、開演前から会場が温まっていたからか、関係者席にCさん(前ブログ"オタクが揉めた話"の時の人)がいたからか、推し本人のみぞ知る真実である。

 

ある曲で振り付けで投げキッスをする振りがあるのだが、それにファンがキャー!と黄色い悲鳴を上げると嬉しそうに照れて微笑んでいたのが忘れられない。

地方公演で、尚且つ初めてライブをする土地だったこともありファン自体も推しのライブ初参加という人が多かったのもあってすぐにキャーーーという言葉が飛び出していた。かっこいいよね分かる。推しは大きなフェスなどでもあまりキャーと言われるような人ではなくて、どちらかと言うとクスクスと笑いが起きてしまうのだ。だから純粋にかっこいい可愛いという所を見てもらえてよかったね、と母親みたいな目線で静かに口を抑えながら見ていた。

 

 

また色々あって推しが関わっているコンテンツが燃えた。しかも今回の公演の物販中に。これはテレビで取り扱われている番組が発端なのだが、元々少し炎上気味だったのだ。なにせ声優番組のくせに芸人ばかり起用してどちらの番組か分からないような状況を作り出してしまうくそ番組だからだ。しかも推しが永遠にいじられ、身体を張っている。前はお散歩してご飯食べて喜んでいる推しを見れるまったりしている素敵番組だったのに。

 

それに加えてnmmn売りが激しすぎるのだ。今回燃えたのはこれのせいだ。予告のために画像を4枚上げてくれる公式なのだが、キスしてる画像が上がったのだ。なにがあろうとも基本推しかっこいい〜〜〜〜〜!で済ましてしまう私なのだが今回のは本当にゲンナリした。鍵かけてやれよ(公式の意味ない)

近年声優のセット売り(腐売り)はとどまることを知らない。一部の人間は喜んでそれを受け取っているが、申し訳ないが私はそうではないため少しばかりの生き辛さを感じている。

まぁ今回の件の番組はクソ番組だとわかった瞬間、払う金がもったいなかったため切ったので今回の放送がどのようになったのかは分からない。というか今日放送なのではないだろうか?

 

そしてこの件(だと思う)に対して言及したのだ。前々からクレームがあったとも考えられるが、それにしても情報収集が早すぎてびっくりした。

推しが言うには「よくお手紙とかで"いじられてますけど大丈夫ですか?"っていただくんだけど俺全然大丈夫だから!」ということらしい。会場にいや、あなたは大丈夫かもしれないけどぉ〜みたいな空気が流れて笑いそうになった。

 

番組の脚本がクソなせいで推しに気を遣わせないで欲しい。番組公式、言い訳みたいなツイートしてたけど本当に反省しろよ。

 

 

 

「いつもありがとうって言うけど本当に思ってるからね?ありがとうって言い合えるこの場を大切にしたいです」

推しはそう語ったのだ。これはいつだったか忘れたのだが、以前にも言っていた言葉だ。

私は前回のツアーからどこか推しが変わってしまったなぁと感じていた。すごく軽率に投げキッスするようになったし、手紙読んでるアピールし出したし、ファンの顔色を伺うようになったし。投げキッスなんて人に言われなきゃしなかったじゃん!!!味しめたな!!

自分の正しいと思った道を突き進む推しなので、きっと誰かに影響されて取り入れた結果が今の状況なのだろう。露骨すぎて宮城公演以前の私はドン引きだったし、正直今でもちょっと引っかかるところはある。

 

しかしこれも推しなりに考えた"声優ブーム"を生き残る戦略なのかなぁと思うと無碍に扱うことも出来ない。

絶対に推しの単独の現場来たら惚れるのになぁ、もったいない…と思う一方で、もうこれ以上同担が増えて欲しくないので複雑な心情である。

 

今回私の推しは"来てくれたお客さんを笑顔にしたい"という根本的な所は変わっていなかった。それが分かっただけで私は充分だった。

 

 

人なんていつかは変わってしまうものだし、永遠を求めるのはお門違いだと思う。

 

誰しも"あの時は"と自分の中での最善を引っ張り出しては過去を愛でることはあるだろう。推し事においてもそれは同じではないだろうか?

けれどきっとそれは悪いことではない。私だって、その他のひとだって、人なんだから昔のことくらい懐かしむ権利くらいある。

 

大切なのは推しの根本的なところが変わってしまったか、そうではないのかだ。変わってしまって合わなくなってしまった時、それが推しと自分との縁の切れ目だと私は考える。

 

 

今はこの縁を大切にしていたい。私は今回のライブで心からそう思えたのだ。

 

 

p.s. また夜に書き始めて次の日に上げました。日付ズレています。